ここ数十年、デザイン教育はある種の“呪い”を背負ってきた。
「デザイン教育=PhotoshopとIllustratorの操作を覚えること」
この構図が、良くも悪くも教育を支配してきた。
もちろんAdobe製品は素晴らしい。商業現場で必須であり、無数の名作を生み出してきた。
しかし――
「特定のソフトが使えるかどうか」が、いつの間にか“デザイン教育の入り口”を決定してしまった。
これは果たして健全だったのか?
この記事では、Affinity無料化の流れを踏まえながら、教育の本質に戻るための視点を整理する。
1. Adobeが教育を支配した理由
ソフトが“前提”になった構造
Adobe製品自体が悪いわけではない。
むしろ完成度は高く、プロが仕事をするための“標準インフラ”と言って良い。
しかし、あまりに完成度と市場シェアが高すぎたために、教育側は次のような構造に縛られていった。
価格が高く、学校導入が難しい
操作が複雑で、授業時間の多くを消費する
求人票はAdobe前提で書かれる
Adobe未経験 = スタートラインに立てないという空気
結果として、教育現場ではこう判断するようになる。
Adobeを教えないと、生徒が困る
そしてデザイン教育は、“ツール操作を教える授業”へと矮小化されていった。
2. Affinity無料化が揺さぶる“古い構造”
2025年10月末、Affinity Photo・Designer・Publisherが一つに統合され、完全無償化された。
しかも操作思想・レイヤー構造が横断的に統一されているため、初心者でもすぐに“使いこなせる”一貫性がある。
中学生でも
家庭のノートPCでも
デザイン未経験者でも
本格的なデザイン環境を持てる時代が来た。
これは「無料」以上の意味を持つ。
デザインの入口が“誰にでも開かれた”ということである。
この変化は、従来の「Adobe前提教育」を静かに、しかし確実に揺さぶり始めている。
3. “Affinity世代”がもたらす変化
ツール操作は日常技能になる
無料で触れる環境が整うと、次のような操作は“読み書きレベルの一般技能”になる。
レイヤー
マスク
合成モード
フィルター
色調補正
ベクター描画
簡単なDTPレイアウト
Affinity世代の最大の特徴はただ一つ。
ツール操作が、特別な訓練をしなくても自然に身につく。
家庭でも学校でも触れるから、操作の授業は必要なくなる。
教育はもう、「まずはツールの説明…」と時間を消耗する必要がない。
4. 本来のデザイン教育は「視覚言語の教育」
ツール操作が一般化したとき、教育はようやく本質に戻れる。
本質とは何か?
それは――視覚を“言語”として扱う技術のことだ。
意図をどう形にするか
情報をどう整理すべきか
レイアウトとは何か
色は感情にどう作用するか
どこに視線が吸われるか
何を残し、何を削るか
どの順番で伝えるか
こうした“視覚的思考”こそが、デザイン教育の根本だった。
しかし長い間、“Adobeの操作を覚える授業”が本質を覆い隠してきたのだ。
Affinityの登場は、この歪んだ構造をようやく解きほぐし始めている。
5. 操作から解放された教育は“問い”に戻る
ツール操作が自明のものになったとき、教育はこう変わる。
❌「このボタンを押すとエフェクトが…」
↓
⭕「なぜその構図にしたのか?」
❌「こうやってレイヤーを重ねます」
↓
⭕「何を伝えたくて、そのレイヤーが必要なのか?」
❌「効果を学ぼう」
↓
⭕「情報はどの順番で届くべきか?」
教育は、“手順”から“意図”へ、“機能”から“思想”へと戻っていく。
Affinity世代の登場は、この変化を一気に加速させる。
6. デザインは特権技能ではなく、“教養”になる
ソフトが高額だった時代、デザインはどこか“専門職の領域”だった。
しかし、これからは違う。
小説の表紙を作る
ブログのアイキャッチを作る
SNSのビジュアルを整える
写真をレタッチする
ロゴを自作する
ZINEを作る
これらが誰にでも可能な時代が来ている。
デザインは“専門技術”ではなく、文章力や読解力と同じ「一般教養」へと変わる。
学校が扱うべきは、視覚の読み書き(ビジュアルリテラシー)である。
結び:デザインは技術ではなく、思想である
いま私たちは、デザイン教育の本質へ戻る入口に立っている。
Affinityの無料化は、ただの価格の問題ではない。
デザイン教育をソフト操作の呪縛から解放し、本来の“視覚と言語の教育”へと導く最初の揺り戻しである。
ツールは自由になった。
これから問われるのは、どれだけ“問い”に向き合えるか。
デザインは、技術ではなく思想である。
そして思想は、いつも「問い」から始まる。
